本文へ移動

チャーチル会 つくば・土浦

閑つぶしとしての絵画
―Sir・ウインストン・チャーチル―
 
これまでに一度も画筆やデッサン用の鉛筆を手にすることもなく、40歳に達した人がいるとしょう。
今までは、絵というものを、一つの神秘的な存在としか見ていなかった。
自分には、才能がなく、全く無関係なものと感じていた。
公園で、大道絵師が、チョークで描いた絵を、ポカンと感心して見ていただけであった。
 
ところが突然、絵の具やカンバスなどを買い込んでから新しい趣味と活動の真っ只中に、自分が投げ込まれた
ことを知る。しかも、その結果を見て特に失望もしない。これは、一つの驚くべき経験、自分を豊かにするための体験である。
 
私は、この素晴らしい体験を、他の人々とも分かち合いたい。
他の人々も、私と同じように経験してみようという気になれたら、私としては幸せである。
とにかく、人畜にとって、決して有害ではない。そして、その中の幾人かでも、自分にとって、楽しく、尽きることのない新しい趣味を得たと思われる人がいたら、もっと幸せである。
 
決して、差し出がましいことを、押し付けるつもりはない。
私としては、“絵”という話題ほど、自分で自分を謙虚に思い、それでいて自分にとって自然に思えるものはない
からである。
 
私は、絵をどう描くかについて、口出しするつもりはない。
そこから、いかにして、“楽しみを汲み出すか”について、描きたいと思うだけである。
 
絵を描くのに、一番大切なことは、大胆さ、図々しさである。
あまり大きな野心をもってはならない。傑作をものにしようと思ってはならない。
 
“絵の具箱”という“木馬”にのって、楽しめばよいのだ。
そのために必要なのは、大胆さだけである。
 
― Sir・w・Churchill ―
―Sir・ウインストン・チャーチル―
これまでに一度も画筆やデッサン用の鉛筆を手にする
こともなく、40歳に達した人がいるとしょう。
今までは、絵というものを、一つの神秘的な存在としか
見ていなかった。
自分には、才能がなく、全く無関係なものと感じていた。
公園で、大道絵師が、チョークで描いた絵を、ポカンと
感心して見ていただけであった。
ところが突然、絵の具やカンバスなどを買い込んでから
新しい趣味と活動の真っ只中に、自分が投げ込まれた
ことを知る。しかも、その結果を見て特に失望もしない。
これは、一つの驚くべき経験、自分を豊かにするための
体験である。
私は、この素晴らしい体験を、他の人々とも分かち合い
たい。他の人々も、私と同じように経験してみようという
気になれたら、私としては幸せである。
とにかく、人畜にとって、決して有害ではない。 そして、
その中の幾人かでも、自分にとって、楽しく、尽きること
のない新しい趣味を得たと思われる人がいたら、もっと
幸せである。
決して、差し出がましいことを、押し付けるつもりはない。
私としては、“絵”という話題ほど、自分で自分を謙虚に
思い、それでいて自分にとって自然に思えるものはない
からである。
私は、絵をどう描くかについて、口出しするつもりはない。
そこから、いかにして、“楽しみを汲み出すか”について、
描きたいと思うだけである。
絵を描くのに、一番大切なことは、大胆さ、図々しさで
ある。 あまり大きな野心をもってはならない。 傑作を
ものにしようと思ってはならない。
“絵の具箱”という“木馬”にのって、楽しめばよいのだ。
そのために必要なのは、大胆さだけである。
― Sir・w・Churchill ―
TOPへ戻る